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恋の手紙にも歴然
同じ年齢に大きな「開き」八木哲
2000年 1月19日(水)産経新聞静岡版”学びと教えの現場から”掲載
続「当世中学生恋物語」
いわゆる「つきあい」が始まり,こいのてがみをもらうこととなった男子。さぞやうれしかろうと思いきや,その返事に四苦八苦しているのだということを前回報告した。
釣りをしたりゲームをしたりの分野ならば,「よし来ーい!」の男子も,この分野については,どうやらとんと晩生(おくて)。
おそらくはこれまでの人生で,そんなことを考えたことも書いたこともなかったというのが,男子の大方なのであろう。
そこへ,どーんと,あるいは矢のように,この道の早生(わせ)からの「攻勢」がかけられるのである。その苦衷,察するに余りある。瞑目(めいもく)…。
だが,それがどのような種類のものであれ,攻勢への苦しい対応というものは男に一生ついてまわるものなのかもしれない。
その意味では,極めて暗示的な,彼らの目下の経験ではある。再び,瞑目…。各員奮励努力セヨ。
◇ ◇ ◇ 早生と晩生。これはなにも,恋の道に限ったことではない。同じ年齢の生徒たちが突きつけてくる「開き」。その大きさに,瞠目(どうもく)を余儀なくされたことが,私にはいくたびあったことだろう。
ある年齢に達したからといって,十人が十人,ある水準に達するわけではないのである。この部分では「十分」だが,この部分は「まだまだ」。それらの部分が各人異なる。それが子供である。いや,人間である,と言うべきであろう。 あめりかの心理学者(その名失念)によれば,同じ七歳であっても,三歳半から十歳半までの「七歳幅の開き」があるという。それが十二歳になると,七歳半から十七歳半までに拡大。すなわち「十歳の開き」が生じるのだという。
おそらくは,現実にあまた存在するであろうある部分の晩生たちは,次のような苦言を呈されることが,ままあるかもしれない。
「もう十二歳なんだから」
「もう十二歳なのに…」
これらの苦言は,「ある年齢に達すれば(当然)ある水準に達する」という考え(思い込み・幻想と言っても叱られまい)を前提としている。
それらは,「まだまだ」の子にとっては,「ソンナコトイワレタッテ,コマッテシマウ」的苦言であるともいえよう。自戒したい。
オクテ各員ニ告グ
時節ノ到来ヲ待テ
◇ ◇ ◇ ところで私は,本件(恋の手紙)に関わる,さらに貴重な「証言」を得た。「証言」者は,早生中の早生とでも讃えるべき二人。二人とも,四年前は現役の中学三年生であった。いずれも,恋の手紙の発信経験者である。以下報告する。まず,細心の注意をはらうのが,「封筒・便箋(せん)の選定」。封筒の配色,便箋の形状・印刷された図柄等,おさおさ怠りなくチェックする。
「あっ,この子センス悪い」と思われてはならぬからである。
いよいよ執筆。かと思うと,さに非(あら)ず。その前に「そこらを片付ける」のである。「机の上なんかもきれーにする」(二人の言葉のママ)のだという。なんという誠心。
書き出しは通例, 「Dear○○君」となる。二文目は,「つきあい」以前以後かによって微妙に異なる。
以前のものであれば,「急に手紙出したりしてごめんなさい」となる。これを「敢行型」と呼ぼう。
以後のものだと,例えば「なんと呼べばいい?」などの一文がはさまれる。「余裕型」と言えよう。
「さらにその先は!?」とはやる心を抑えて,私はインタビューを終えた。
◇ ◇ ◇ それにしてもだ。恋の話を語って聞かせてくれた時の彼女たちの,なんという目の輝き,盛り上がり,そして含羞(がんしゅう)。以下の言葉をもって私の結論とする。
晩生ヨシ 早生ヨシ 恋サラニヨシ